魔界の月TOP東屋小説TOP未熟な翼5


シュアールは後手に回ったことを後悔した。確認する前に、ハトルの小屋を訪ねて足止めしておけば良かったのだ。
天界に通じた異能者を、筆舌に尽くしがたい程の「脅し」をもって、シュアールは「真実」を聞き出した。
小屋にはたどたどしい筆跡で、ハトルの置手紙が残っていた。

『シュアール

  いろいろと、ありがとう。
  すぐに行かないと「お迎え」に間に合わないそうなので、
  あいさつしないで行きます。
  ごめんなさい。
  「むこう」に行ったら、またすぐに帰ってきます。
  かえってくるとき、おれが「てんし」になれてるように、がんばります。
  「てんし」になったら、やりたいことがあるんだ。
  たのしみにしててください。
                            ハトル』

「馬鹿野郎が・・・!」
シュアールは手紙を懐に仕舞うと、ハトルの後を追った。

だらだらとした坂道。山の中腹に差し掛かっても、まだハトルは捕まらない。
陽が翳り始めた。長い一日だ。完全に暮れるまでに見つけないと厄介なことになる。
しかし。
シュアールは己の体を呪った。異能力以外の全てにおいて、彼は普通人の体力から劣っていた。
病弱で脆弱で持久力のない肉体。僅かばかりの炎しか生み出せない、弱い弱いよわい体。
せめて足くらい速かったら、もうハトルに追いつけているかも知れないのに。
シュアールは息を切らせて走った。肉体の限界が近づいているのを、感じた。
呼吸は途切れ途切れになり、喉の奥からは鉛の香りがした。何度目かの坂を上って、地面に倒れこむ。
四つんばいになった彼の喉から、血が噴出した。大地が朱に染まった。
肺が破れるには早過ぎる。喉が裂けただけだと思いたい。
まだ、倒れる訳にはいかない。まだ、早い。闇はまだ来ない。
闇がハトルを呑み込んでしまったら・・・。
シュアールは地に伏した自分の手に、自分の影が覆いかぶさるのを見る。
手。大地。朱い筈の血が黒く見える。闇が何もかも暗黒にしてしまう。
絶望感が、漆黒が、倒れたシュアールを地面に釘付ける。
目が・・・かすむ。

― 黒も光るんだね ―

突然、ハトルの声を思い出した。
自分の磨いた黒曜石。それを受け取り、弾けそうな笑顔で喜ぶハトル。
ああ、黒い色も光るんだねシュアール。
輝くってこういうことなんだね・・・!

胸元を真っ赤にして、シュアールは再び立ち上がった。
ハトルは見つかる。ハトルは闇じゃない。悪魔じゃない。
自分にはハトルの光り輝く「気配」がいつも感じられていたじゃないか。
たとえ世界が闇に閉ざされても、ハトルはその中に沈んだりはしない。
彼が何のために「天使」になりたいのか、シュアールには薄々見当が付いていた。
すぐ顔に出る単純な混血。黒い翼が生えてきた時の、彼の泣き顔。
怒るようにしか、慰められなかった自分を思い出す。
負けるな。
ハトル、負けるな。まだ、決まった訳じゃない。何も終わった訳じゃない。
それしか、言えなかった。不器用だった。

陽が沈んでも、まだ終わりじゃない。夜が迎えに来ても、ハトルはその中で輝く。
走れシュアール。急げ!
躊躇している暇はない。ハトルは足が速い。
絶望感の中から、自分を無理やり叱咤する。
不器用だったから、今、走るしかない。今、やれることしか出来ないから。
曲がりくねった道なき道を、シュアールはかき分ける。鬱蒼とした樹木が、視界を閉ざす。
軌跡。
今のシュアールには、それが全てになっていた。
ハトルの通った痕跡。それを発見して一瞬の希望を持ち、未だ追いつけない現実を呪う。
尖った枝はシュアールの衣服を裂き、急ぐ脚に無数の傷をつけた。

がらり。

俄かに足元が口を開けた。崖だ。
かなりの高さがある。落ちたらまず助からない。シュアールはギリギリで難を逃れた緊張と弛緩で、暫し棒立ちになった。
そして・・・。
幻覚が見えたのかと我が目を疑ったその時。
崖の真下、遥か眼下に。
木々の隙間を縫って進む、見覚えのある黒い翼を見つけた。

「ハトル!」

ありったけの声で叫ぶ。声は血反吐と一緒くたになって、山に響いた。

* * *

誰かに呼ばれたような気がして、ハトルは振り返った。
背後には、今自分が越えてきた山がそびえている。
少しだけその頂を仰ぐ。白いものが目の端を過ぎった。崖っぷち。他には何もない。

「さほどに心配する必要もなかったか」
「杞憂、でしたか」
崖の上では、倒れたままのシュアールに、二頭の馬が追いついていた。
より豪奢な鞍を置いた馬から、初老の男が降り立つ。習って青年の方も下馬した。
地面に染み込んだ血と、胸元の汚れを見て、男は「死んだか」と吐き捨てた。
青年が怖々とシュアールの顔を覗き込む。
「もしかしたら・・・はい、多分」
「ちゃんと確認しろ」
「え。わ、私がですか、宗主様?!」
「こいつが妙なことを企てとるやも知れんと、お前が言い出したのではないか」
「わ、私はただ、ご注進に上がっただけでして。ひ、酷いんですよ、正直に言わないと私の、
か、髪やら顔を焦がすとか何とか言って、お、脅かして・・・」
青年はうろたえつつも憎々しげに、足下のシュアールを見下ろした。
「・・・臆病者が」
宗主はシュアールの長い髪を一束、逆手に持つとそのまま引き上げた。
何本か根元でぶちぶちと髪の切れる、嫌な感触がした。真っ白な顔は、ぴくりともしない。
「死んどる」
青年はほっと安堵の息をもらした。
「無駄足だったな。帰るぞ」
宗主は無造作に髪を放した。半ば赤茶けた髪ごと、頭が地面で硬い音をたてた。
「こ、このまま放って、おきますか」
「その辺の獣が喰うだろう」
「そ、そうですね」
宗主が馬の手綱を取った。すると、これまで従順だった馬が首を大きく持ち上げ、一声いなないた。
「悲鳴」に近いものだった。それを合図に、馬は二頭とも人間を残して走り出し、あっという間に森に消えた。
「な、なん・・・」
呆然とする二人の後ろで、代わりに動き始めた生き物が居た。
全身から微かな熱を放ち、鬼火のようなものが周囲を取り囲んでいる。
幽鬼。
箍の外れた異能族が、制御不能の「力」を漏らしている。それはそのまま、彼の生命の火そのものだ。
ゆっくりと半透明な焔が、上半身を起こしたシュアールを包んでいる。
炎が全身を覆う様は四つ足の獣のようにも見える。
「ギリギリ、まだ死んでないんだな、これが・・・」
鬼火の一つが、さっきまで馬の居た場所まで飛翔し、落ちた。
「ひい!」
青年の方が先に悲鳴を上げた。
「情けない声を聞かせるなよ」
シュアールは起き上がるのもやっとだったが、立ち上がって同類である「異能族」の青年を睨んだ。
「あれだけ脅かした僕に、恨みを抱くお前の気持ちは解る。
だが、人間に忠義を尽くすお前の気持ちは解らない。何故、天界とあんな条件を結んだりした」
「わ、我々には関係ないことじゃないか・・・どうして、そ、そんなに怒るんだ」
「馬鹿が!解らないのか!」
シュアールは宗主を指差した。その指先からも青白い火花が散っている。
「こいつら『普通の人間』を名乗る連中が考えていることが何だかわかるか!
先ずは厄介な天界と魔界の排斥、つまり『混血』との縁切りだ。それが済んだら・・・
次に邪魔になるのは、僕たちだ!」
「え・・・」
青年は虚をつかれて絶句した。
「その様子じゃ、本当に考えが及ばなかったんだな・・・」
シュアールは、この男の愚かさを逆に哀れに思った。こいつも利用されただけだ。ただ「便利だ」というだけで。
真の役者は・・・。
「待て。何か誤解があるようだが・・・」
間に割って入った宗主に、シュアールは向き直った。
「誤解?何が誤解です。彼はついさっき僕にこう言いましたよ。
天界は確かに、今、人界に居る『可能性のある混血』を引き取ると認めた。
ただし。『可能性のない混血の排除』と引き換えに。
『可能性のない混血』、つまり『天使になる可能性が極めて低い混血』のことだ。
そして『排除』とは『消去』。抹殺を意味している、とね・・・!」
宗主は青年を横目で見た。視線はきつく、侮蔑の瞳だった。青年は震え上がった。
「こ、こいつが脅かすからですよ!そ、それで仕方なく、」
「口の軽い者はいらん」
宗主は腰に佩びた剣の柄に右手をかけた。その芸術的な装飾の鞘から、長刀を引き抜く。
「待・・・!」
シュアールの制止の隙もなく、青年は正面から喉元を突き刺され、絶命した。
恐怖と驚愕の表情を貼り付けたまま、青年の体が地に転がった。
「何て・・・事を・・・」
「おしゃべりは身を滅ぼす、の見本のような奴だ。どうせ長くはもたん命だ。生かしておいてもロクなことにはならん」
「僕も・・・殺す気ですか」
シュアールの周囲の焔はまだ揺れている。いや、動揺を隠せないかのように、更に動きが騒めいている。

「・・・お父さん」

その時、太陽が完全に山の端に姿を消した。

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