遠くで鳥が鳴いている。
姿は見えない。ただ、遠くで鳴く。
まるでこの家の主が何者であるのかを知っているかのように。
その声は讃美か。呪詛か。
それとも、懇願しているのか。
……埒もない。ただの鳥だ。
「佐藤」
ふ、と我に返った。部屋の入口に男が立っている。
「お早うございます」
素早く立ち上がる。少し躊躇った様子を見せたが、男は中に入ってきて椅子に腰かけた。佐藤は、急いで隣の台所へ向かう。先ほど井戸からくみ上げたばかりの冷たい水。彼は、朝一番にこれを飲む。食事や身の回りのことに全く頓着しない男だが、これだけにはこだわりを見せる。温かったり飲めなかったりすると、その日一日、不機嫌気味だったりするのだ。
その時のことを思い出して、佐藤は薄く微笑した。
「どうぞ」
頷いた男は、しかし目の前に置かれたグラスを手に取らなかった。訝しげに立つ佐藤を、真っ直ぐに見る。
「先刻は、どうかしたのか」
「先刻?」
「様子が、いつもと違った」
小さく苦笑する。
「ぼうっとしていただけですよ」
そうか、と呟いて彼はようやく水を飲み干した。
やっとぼんやりできるようになったのだ。
あの悪夢のような夜からずっと、何年も、何年も、まるで嵐の山道を登っていくかのような日々が続いていた。自分はただ、この男の後ろを必死についてきただけでしかなかったが。それでも、全く先の見えない月日は、心身共に彼を蝕んだ。
しかし、悪夢は終わった。あの少年は、再び彼らの元に現れたのだ。
これから、激動の日々が始まるだろう。少年の存在は世界を震撼させるに違いない。
それまでの、ほんの僅かな時間なのだ。こうしていられるのは。
「身体の具合は大丈夫か」
「はい」
佐藤の返事を確認して、第一使徒は腰を上げた。
「メシアが起きられる前に、書庫の整理をしてくる」
佐藤も台所へ戻る。湯を沸かし始めた方がいい。
軽い目眩がした。疲れてきているのかもしれない。
自分には、彼らのような超人的な意志も体力もない。
……ついて行けるのだろうか。
これからも、彼らに。
小さく頭を振る。
思い煩うな。
できるだけのことをするだけだ。
まずは主人に、熱いコーヒーを。
かぜが わらう
きみは あるく
ぼくは すすむ
きみの あとを
いつまでも きみの あとを