Loddfa'fnir |
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昼間はよい天気であったのだが、夕方が近づくにつれて、どうやら天気が崩れてき たらしい。 古ぼけた書物に視線を落としながら、蛙男はそう認識していた。 彼は前日の夜からずっと、この土蔵の中から一歩も外へ出ていないのだが。 彼を取り巻く空気の質が変わっていくのを感じられる。 思ったとおり、それからさほど経つこともなく、雨音が聞こえた。 最初は微かだったそれは、数分もしないうちに土砂降りへと変わる。 明かり取りの窓から差しこむ光は鈍り、文字を追うのが次第に困難になる。蛙男 は、電灯をつけようと渋々立ち上がった。 と、ほんの一瞬、鮮烈な光が差す。数十秒後に、低い地鳴りのような音が続いた。 雷が鳴り出したのだ。だが、まだ遠い。 大して気にもせず、蛙男は先ほどまで座していた場所に戻り、また書物に視線を落 とした。 ……耳に、また違う音が聞こえてきたのは十数分経ってからだったろうか。 ひたひたと、音を立てないように、しかし小走りに進んでくる足音。 少し離れた場所で止まったそれに、面倒くさそうに顔を上げる。 「どうした。佐藤」 声をかけられたことで何故かうろたえたように、佐藤は無言で立っていた。その顔 色は酷く悪い。 一時は床から出られないほど弱っていた佐藤だが、このところは日常生活を送るの に支障ないぐらいには回復していた。尤も、すぐに疲れてしまうようではあったが。 「何かあったのか?」 眉を寄せて、再度尋ねる。 「いえ、あの、雨が……酷かったので、その、様子を見に」 しどろもどろに答えるのに不審を覚えるが、視線を外した。 「こっちは大丈夫だ。建物は古いが、しっかりしている」 「そ……そうですね。すいません」 小さな声で返してくる。そのまま立ち尽くす気配に、僅かに苛立ちながら蛙男はま た彼を見上げた。 「どうかし……」 「……ッ!」 暗い窓の外が、一瞬閃光に満ちる。佐藤は鋭く息を呑んで、その場に蹲った。 「……………お前……」 蛙男は小さく呟いた。眉間に刻まれた皺が、今は消えている。 「ひょっとして雷」 「違いますっ!」 ばっ、と顔を上げて、佐藤が反論した。 どぉん、と遠くで音が響くが、微かに身体を強ばらせたのみでそれをやり過ごし、 続ける。 「だ、大体、雷なんて雲の中に溜まった電荷が放電しているだけなんですから。怖い なんてこと全然」 「違うな」 静かに遮るのに、佐藤は口をつぐんだ。蛙男の言葉は、時折、酷く力を持つ。 「あそこには、雷神トールがいる。どのような神か知っているか?」 目を大きく見開いて、佐藤は無言で首を振った。 「北欧で信仰されている神だ。主神オーディーンの長男で、巨人殺しの槌と呼ばれる ミョルニルで雷を発生させる。正義感が強く、人間の守護者として崇められていた」 普通の人間から聞かされたのであれば一蹴するところだが、相手は古代の魔術師の 魂を持つ男である。そして彼自身、この数年に渡って、荒唐無稽としか云いようのな い体験をしてきたのだ。 ごくり、と喉を鳴らし、佐藤は口を開いた。 「しかし、そのような神であるなら別に何も心配することは……」 「甘い」 一言で断じられて、口をつぐむ。 「我々の今までの行動が、既存の神々によく思われていた訳ではない、ということぐ らいはお前でも察しがつくだろう。特に、トールは単純な神だ。メシアがおられない 今、よからぬ意図でここへやってきたということも考えられる」 佐藤の顔から、血の気が引いていく。 ……どうしてこうも信じやすいのだろう。 半ば呆れ、半ば感心して相手を見つめる。 その時、一際激しい光が奔った。 瞬間、ふっ、と周囲が闇に包まれた。 近づいてきていたのか、直後に轟音が響く。 「……停電か」 一応ブレーカーを見てこなくてはならない。原因が外部にあるならどうしようもな いが、それを上げれば直るものなら早くしたい。 立ち上がり、佐藤の横を通り過ぎようとする。 と、何かにひっかかるような抵抗を感じて、足を止めた。 うつむいたままの佐藤が、片手で蛙男のシャツを引っ張っていた。 「……佐藤」 咎めるような声に、ただ佐藤は裾を握る手に力を篭めた。 ブレーカーは母屋にある。先ほどの話の後で、そこまで行くことに危機感を覚えた のか。 ある意味自業自得ではあったが、だからといって行かないわけにもいかない。 ため息をついて、蛙男は口を開いた。 「先刻の話は冗談だ。この雷雨はただの自然現象で、どこにも神などはいない。判っ たら離せ」 だが、彼は無言でただ首を振るだけだった。 蛙男が、嘘をついて自分を安心させ、危険な場所へ行こうとしている。そう思いこ んでしまったのか。 しばらく青年を見下ろして、蛙男は長々とため息をついた。 そして、埃っぽい板敷きの床にどかりと座りこんだ。 頬杖をついて、相手の様子を眺める。 薄闇の中では、雷光は一際映える。その度にびくりとしながら、佐藤は決して蛙男 の服を離さなかった。 力が入りすぎているのか、その指の長い手は細かく揺れている。 知らず、手が伸びた。 片手を、青年の背中に回す。 光も音も現れてはいなかったのに、佐藤は背を震わせた。 もう片方の手が、頭を胸に引き寄せた。 背に回された手が、ゆっくりと宥めるようにそれを撫でた。 徐々に、佐藤が身体から力を抜き、蛙男にもたせかけてゆく。 空に閃光が走らなくなり、地鳴りのような音が遠く小さくなるまで、彼らはそこで 黙って座り続けていた。 |
牧 祥吾さんから戴いた小説です。牧さんのHPで根性で4万打を踏み、蛙男と佐藤の小説というキワモノをリクしたので御座います。 ものすげく(小平弁)格好良いですよね、男ですよね蛙男さん(*´Д`*)ハァハァ。 ちょっと鼻血が止まりませんのでティッシュ詰めますね。詰め詰め。 あ り が と う ご ざ い ま し た 。(文責:川田) |
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