何故、泣くのですか。

 声ならぬ声がそう問いかける。浅く息を吸い込んだちいさな少年は、閉じたドアにもたれかかって座り込んだ。
 「泣いてなどいない」
 暗い室内に一切、人工的な明かりはない。それでも少年の肌を病的なまでに白く際だたせているのは、窓から覗く青白い     


月光


 無茶を、なさいましたね。

 「問題ない。この程度なら数時間で治る」
 切り裂かれ、血のにじむ腕。すり切れた衣服から僅かに覗く身体にも赤い物が見える。
 しかし少年は手当てするでもなく、目をやるでもない。ただそのまま、冷たい床に自らを投げ出していた。

 痛みを感じないわけでもないでしょう……それなのに、何故そんな無茶をなさるのですか。

 声ではない声。少年にのみ聞こえるそれが、痛みに満ちる。
 何処を見るでもなく開かれていた瞳が、ぱちりと瞬きをした。

 「痛みを感じたとしてもそれは僕個人のみの感覚だ。
 誰が巻き込まれるわけではない。誰が感じるでもない。
 お前の痛みですらないはずだぞ」
 
 軽く肩をすくめる少年が顔を上げる。視線は宙のある一点に向けられていた。

 貴方の本気の力なら、貴方は一筋の血も流さないで済む。違いますか?
 確かに、私の痛みではありません。私はもう、痛みを感じることはないのですから。
 けれど……

 「痛みではない、痛みか」
 ふ、と息を吐き出し、少年が目を閉じる。

 「確かに、僕の力なら一瞬で事は済むな」

 では、どうして……!

 悲鳴にも似た意志。しかし、少年は動じるでもなく続ける。

 「別の物の代わりに血を流しているだけだ」

 秘めた吐息のように、小さく。
 呟いた少年は俯く。

 「僕には力がある。望むべき物のために望んだ力が。
 僕は僕の決めたところを進んでいける。僕自身の力で。
 だが、どうしようもない事もある。僕自身の事ではない事でな。
 ……だから僕は代わりに流す物を決めた。
 僕は死なない。泣いている時間もない。だからだ」

 ……メシア……

 息をのんだような声。少年は息を吸い込むと顔を上げる。
 今度見つめるのは宙ではなく、窓の外に見える闇。

 「……彼らの流す物の全てを、とはいかないだろう。
 くだらない自己満足だ。けれど、僕はそう決めた。
 だからいいんだ。僕にも自己満足があってもいいだろう」

 それだけ言葉に出すと、少年はふらりと立ち上がった。背にしていた扉を開け、一歩踏み出す。
 扉の開いた分だけ、暗い室内に光が差し込んだ。
 少年に背後……部屋に生者の姿はない。

 ……あまり、ご無理はなさらないでください……

 ちいさな背中に向けられたのは案ずる声。
 足を止めた少年は、再び肩をすくめる。

 「……お前は相変わらず五月蠅いなぁ」

 ぎい、ときしんだ扉が閉まる。
 そこにある存在は、光でも闇でも、映し出されることはない……





Planet of Dragon の戦部ねお・ぶらっくさんに戴きました!
川田の夏コミ新刊【鸞弥栄】がジャストミートだったらしく(ありがたい事です)、何故かお礼に、と戴いてしまいました!いいんですかこんな素晴らしい作品を!もう返しませんよ!(笑)
鬼束ちひろの『月光』をBGMにお読みになられると泣けます ・゜・(ノД`)・゜・。
本当に有難うございました!

川田屋へ