○○ 相互作用 ○○ |
ごっ…、と重い音と共に石造りの扉が開き、光が一筋、部屋に差し込んだ。 扉を半ばまで開くと、漸く部屋の中がぼんやりと見えた。 部屋に窓はない。何故ならば此処が地下だからだ。 最初に開いた扉から部屋に入って来たのは、銀に近い髪と蒼白の肌をした少年だった。 片手に大きなランプを掲げ、水先案内をするように部屋の中央まで歩いていく。 少年はこの部屋の主――松下一郎だった。 此処は奥軽井沢の地下に眠る古代遺跡。 つまり彼の魔術研究室であり、今彼がいるこの部屋は古今東西様々な魔術の知識を集めた書庫であった。 ホールと言って良い広さの部屋の中、壁一面を書棚が埋め尽くしている。 書棚には隙間なく書物が並べられ、書棚から溢れた本が床にも積み上がっている。 松下は部屋の中央にある重厚なデスクにランプを置くと、扉の方を振り向いた。 恐る恐るといった様子で二人の少年が、松下と同じようなランプを持って入ってくる。 しかし尻込みしていたのはほんの数瞬のことで、書庫の膨大な蔵書を目にした途端、少年は二人とも目を輝かせた。 「すごい……」 辺りを見回して、最初に感嘆の声を上げたのは大きな黒い瞳をした少年、山田真吾だった。 「これ、全部魔術書?」 「全部というわけではない。古代の魔術、秘術書もあれば、歴史書、哲学書、宗教教典、その注釈書もある。だが、全てはこの世ならざる力を行使するために必要な知識に繋がるものだ」 山田の問いに、松下が静かに答える。 ランプをかざし、近くの本棚を眺めていたもう1人の少年も、驚いたように声を上げた。 「松下君、此処すごいよ! 見えない学校にない本もある」 高い場所にある本に向かって、必死に手を伸ばす少年は埋れ木真吾。 独特の癖を持った茶色の髪が、ランプの明かりで赤みを増して見えた。 「椅子とか、ないのかな?」 本を取れずに苦労している埋れ木を見かねてだろう。 ぽつりと呟いた山田の言葉を受けて、松下が、ぱし、と小さく指を鳴らす。 次の瞬間、埋れ木の視線の先にあった分厚い書がするりと本棚を抜け出し、埋れ木の手へ収まった。 それが一種の魔術だと気付いた埋れ木は、松下を振り返り、ありがとう、と言った。 3人の中で、これほど容易に魔術を扱える者は松下しかいない。 「入り口正面と両側の本棚には可動式の梯子が付いている。扉近くの本棚は……、そこに踏み台がある」 「あ、これ踏み台なんだ」 埋れ木は足下の踏み台だというものの上に登った。 四角い箱形の石だが、全面に緻密な彫刻が施されていて、先程は登るのを躊躇ったのだ。 「随分装飾が凝ってるから、置物かと思ったよ」 正直な感想を漏らした埋れ木に、松下は顎に手を当て呟いた。 「ふむ、置物かもしれないな」 「ええ!」 「どっちなの!?」 慌てて踏み台から飛び降りる埋れ木と、無関係ながら思わず問い返す山田。 しかし松下は特に自分の言動をおかしいとは感じていないらしく、変わらぬ調子で続けた。 「此処にあるものは、僕が此処に来た時に既にあったものだ。どういう用途で作られたか知り得ないものもある。僕はそれを本を取る時の踏み台に丁度良いと感じたからそう使っているだけで、本来の用途が何であるかは知らないよ」 「……だって。つまり、使っちゃっていいんじゃない? 埋れ木君」 山田が埋れ木へ、苦笑混じりに視線を投げて言った。 松下も無言で肯く。 この部屋の今の主が許可したならいいかと、埋れ木は再び踏み台に上がり、本の背表紙を辿る作業に没頭することにした。 「読みたい本がたくさんあって迷っちゃうね」 埋れ木が3冊目の本を読み終わった所で、山田が声をかけた。 山田は埋れ木より読むペースが遅いらしく、今漸く2冊目の本を持って来た所のようだった。 「本当だね。どれも読みたいけど」 答えて、机の上に目をやった。 目の前の机には、書棚から抜き出した本が何冊も積み上がっている。 これでも十分に厳選して持って来たのだが、今日中に読めるものだろうか。 「必要なものがあるなら、持っていっても構わないぞ」 埋れ木の心中を察したように、暗闇から声が帰ってくる。 声の主は何処かと埋れ木が部屋を見回すと、一階と中二階を繋ぐ薄暗い階段の半ばから、小さな影がひらりと飛び降りるのが見えた。 今しがた読んでいたのだろう、黒革のカバーがかかった薄手の本を小脇に抱えている。 「松下君、ランプ持って歩いた方がいいよ。危ないし、目が悪くなる」 二人の側まで歩いてきた松下は、諭す山田の言葉に、ああ、と短い返事をして先程と同じ言葉を繰り返した。 「必要な本があれば持っていくといい。君たちを此処に連れて来たのはそのためだ」 「いいの!?」 意気込んで尋ねた埋れ木に、一階にあるものならね、と付け加える。 「中二階のものはまだ全部読めていないけど、一階のものは全部読んだ。内容は覚えているから、手元に置く必要もないだろう」 「読み返したりしないのかい?」 埋れ木が重ねて尋ねる。 「一度読めば十分だよ。君は違うのか?」 何千冊という本の内容を、松下は事も無げに覚えていると言う。 普通なら驚く所だろうが、山田も埋れ木も松下と同じく、一万年に一人の天才的頭脳の持ち主だ。 一度読むだけで、本の内容は一言一句違えずに覚えてしまうだろう。 事実、松下に問われた埋れ木も、一度の読書で内容を覚えてしまうことに関しては、すんなりと認めた。 けれど、“それでも”と埋れ木は続けた。 「それでも、忘れることはあるかもしれないし。僕は、松下君みたいに自信は持てないな。それに折に触れて過去の知識を振り返ることは、無駄じゃないと思うんだ」 埋れ木が本を読み返すのは、天才的な頭脳がどうこうと言うより、性格的なものであるらしい。 彼自身、自分の性分を理解しているのだろう、 「メフィストU世には、黴の生えたような大昔の理論を振り返って何の役に立つんだ、って言われたんだけど」 と、埋れ木は少し困った表情で笑った。 「黴の生えた理論?」 首を傾げて山田が問う。 「うん、魔術の話をしてた時にそんな話になってね。彼は悪魔だから、それこそ呼吸するのと同じように魔術を使うだろう。いわば、最前線で最先端の技術を実践しているわけだから、過去の理論がそう見えてもおかしくないだろうね」 困った表情のまま、埋れ木が答えた。 ふと思い出したように山田が呟く。 「そう言えば、ダニエルもそんなこと言ってたな。魔術も、科学なんかと同じように、未来に行く程進歩していい技術だ、とか。過去の技術を振り返るだけじゃなく、新しい技術を生み出さなきゃいけないって」 「随分と大きく出たものだな」 松下が少し呆れた調子で相槌を打った。 「魔術が進歩する技術か。まあ、意欲的な意見だ。悪くはあるまい」 「うーん、頼もしいと言えるのかな」 肩をすくめる松下に、埋れ木が苦笑混じりに首を傾げていると、 「違うのになぁ……」 ぽつりと山田が呟いた。 その呟きに、二人の視線が山田に集まる。 「違うって?」 埋れ木が問うと、山田ははたと我に返り、戸惑ったように二人を見返した。 山田は暫し逡巡の素振りを見せたが、二人から無言で促されていると気付くと、ゆっくりと口を開いた。 「えっと、僕は松下君や埋れ木君ほど魔術に詳しくないから、何て言えばいいか分からないけど……。その、昔の人がやったことを知る意味って、知識を得るとか、その知識を利用して新しいものを作るとか、そんな所にだけあるんじゃないと思うんだ」 言葉を選びながら、山田は何時になく慎重に語る。 伏し目がちな漆黒の瞳にランプの明かりが映り、静かに揺れていた。 「魔術だけの話じゃないけど、古い知識って、伝える人がいなくなれば、忘れ去られていってしまうわけでしょう?」 小さく埋れ木が肯く。松下は微動だにせず、ただ耳を傾けている。 「だから、古い知識を得ること、それを忘れないように振り返ることは、忘れ去られ消えていくモノの声に耳を傾けるってことだと思うんだ」 ふっ、と小さく息を付いて、山田は顔を上げた。 松下と埋れ木を真っ直ぐに見つめて言う。 「それって、必要なことだよね。特に、僕たちにとっては」 問いかけでなく、確信の口調だった。 僕たちにとって、と。 その言葉の意味する所を、松下と埋れ木は悟っていた。 メシアとして、人々を幸福に導く者として必要なことは何か。 山田は普段、松下や埋れ木ほど、自らの理想を口にしない。 けれど彼は彼なりに、自分の成すべきことを考えているのだろう。 目指す所は同じなのだ。 「うん、そうだね。大切なことだ」 暫しの沈黙の後、埋れ木はにっこりと山田に笑顔を向ける。 ほっと胸を撫で下ろした山田に、沈黙を守っていた松下も小さく呟いた。 「人間的な意見だな。以後、肝に銘じよう」 その呟きは松下なりの、山田への敬意であったのだろう。 同じものを目指す、同志への。 その後。 肝に銘じる等と普段の松下らしからぬ神妙な台詞を聞き、「どうしたの、松下君!」と思わず言ってしまった山田に、松下が「前言撤回!」と思わなかったどうかは、知る由もない。 <end.> |