一 此岸の闇で
喪助は死んだのだと声は云う。
嘘だ。
人は死ぬ。いくらでも死ぬ。
その辺りの道端で、川の中で、寺の前ですら、屍は山を成している。
だけど、喪助は死なない。
だから、嘘だ。
待っていろ、と云った。
必ず戻ってくるから、と。
喪助は約束を破らない。
だから、ヤツらは嘘をついているのだ。
だから。
一番手近にいた者の腹を薙ぐ。勿論、その程度では絶命できる訳もない。
男の絶叫に、周囲の奴らが一斉に色めきたった。
遅い。
元から自分を殺す気で来ていたのなら、何も云わずに襲いかかればよかったのだ。……ならば、もう少し楽に自分を殺せただろうに。
しかし、もう遅い。
怒りが、血管を巡るのを感じる。
奴らの言葉は到底許せるはずもないことで。
奴らの生命が消えれば、きっとあの言葉は意味を失う筈だ。
だから。
一際派手に血飛沫が撥ねる。咄嗟に頭を振ってそれを逃れるが、却って髪の毛が汚れてしまった。
小さく、舌打ちをする。
この血をおとしてからでなくては、喪助には会えない。
喪助は自分の髪を洗うのが、何故か好きだった。最初は、長くて面倒くさいので自分では適当にしかしないのを見かねて、だったと思う。しかし、あいつに返り血の始末をさせるわけにはいかない。身体についた程度なら、濡れた布で拭くぐらいで取れるのに。
遠くで、風を切る音がする。
勢いのついた鎌が、首筋に直撃した。
衝撃に、数歩よろめく。
……迂闊だった。
奴らの中に、鎖鎌を持つ者がいたのは気づいていた。が、通常鎖鎌は『鎌』を攻撃には使わない。しかし、それで、ということが言い訳にはならない。油断には違いがないからだ。
視界が、急速に暗くなっていく。そして、思考が失速する感覚。
身体が壁にぶつかった。不審に思って、手を動かす。
ひんやりとした土と、柔らかな草の感触。
何故、こんなところに……。
待っていろ、と云った。
必ず戻ってくるから、と。
喪助は約束を破らない。
だから、自分はここで待つのだ。
すぐに来る。
もう少しだけ待てば、すぐに。
二 無明の空に
涙は枯れた。
阿弥陀丸の身体を土に還して、それから。
暗い笑みを唇に刻む。
行くしかないのだろう。
もう少し、俺が早く着いていたなら。
あの男が、俺に加えて阿弥陀丸すらも殺してしまおうとしていることを、ご親切にも奴らは話した。
それさえ云わずにいれば、奴らももっと楽に仕事を果たせただろうに。
阿弥陀丸と合流できたら、二人で逃げ出そう。
あんな主君の元に、あいつを置いてはいけない。
問題は、俺が無事に約束の場所まで辿り着けるかということ。
阿弥陀丸はあの場所で待っているはずだ。少し遅れてしまうから、また文句を云うだろう。
奴らを何とか振り切り、人気のない夜道を走っているときに思っていたのはそれだけだ。……あいつが死ぬなんてことは思いつきもしなかった。
しかし、約束の場所に立った時には、阿弥陀は。
軽く頭を振って、思考を止める。
わざわざ思い出す必要はない。あの光景は、既に脳裏に焼きついているのに。
貴族の屋敷の、裏手に回る。
俺と阿弥陀丸を殺せ、という命令は、どうせ武士連中にしか伝わっていないはずだ。下働きたちの、俺に対する認識は、新しく抱えた刀鍛冶でしかない。
ならば、表から入らずに裏口から、というのも不審には思われない。
中に入りこんでしまえば、後は簡単だ。
手にずしりと重い鉈を軽く握り直す。
刀を持っていない人間に、人が殺せないと思うこと自体が愚かなのだ。
こんな世の中に。
涙を喰い破って出てくるのは、鬼か、それとも。
三 天のちいさなかけら
何百年もの時が経つ。
そして知り合った少年は云った。
「簡単なことだったと思うんだけどな。待っていないで、迎えに行けばよかったんだよ」
晴れた空は、高い。
眩しさに目を細める。
「……ああ。簡単なことだったな」
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