魔界の月TOP東屋小説TOP未熟な翼4


行動は速やかに、密かに開始された。
天界が全ての「混血」を受け入れる、という情報に、少数派もやや安堵した。
少なくとも、奇妙な差別をされながら人界に残るよりはマシだろう・・・誰もがそう考えた。
「混血」は、髪の色・肌の色・翼の有無その他身体的特徴の一切に関わらず、「迎え」が待つという場所へ移動するように言い渡された。
山を二つ越えた先は、未知の世界だ。小さな小さな世界に留まっている人々にとっては、そこは「世界の果て」であった。旅をして帰ってきた者は、いない。連峰、と呼ばれるそれら山々は高く、簡単に登ったり降りたり出来るものではない。とても子供に踏破できる山ではなかった。
「混血は別さ」
人々は言った。寿命は長い。体力だってある。奴らは我々とは違う。それに旅の間に翼が完成する奴もいるさ。事によっては、人里を離れたら天使が迎えに来るのかも知れないぞ。天使は人間には滅多と姿を現さないからな。

シュアールは、宗主らが去った後、人里へ降りた。
そこでそれらの噂を聞いた。噂はいい加減だ。出鱈目が殆どだ。
確認しなければならない。宗主の言っていた「条件」とやらを。
人間にとって悪い条件ではない。宗主はそう言った。では、人間以外には?混血にとっては?
これまで人界に任せてきた混血を、何故急に天界が引き取る。人界の申し出をどうしてそんなに簡単に承諾する?
何かが変だ。何がおかしい。そして・・・。
自分は何故そんな事をこんなに気にしているのか。

一軒の家の前でシュアールは足を止めた。
玄関を叩く。中から「はあい」と気の抜けた返事がする。ドアが開いた。
痩せたひ弱そうな若い男が顔を出す。
シュアールの顔を見た途端、家人の顔から笑顔が消えた。
話があるというシュアールの言葉に、目を泳がせて少し斜めを向く。
「ああ・・・今ちょっと忙しいんだ」
「お前は外交屋だ。家に居るときは暇だろうが」
男の頬にさっと朱がさした。失礼な、と言葉を濁す男の肩を、シュアールは掴んだ。
「な、何をするんだ」
「別に何も」
男をせきたてるようにして、シュアールは家の中へ入った。後ろ手にドアを閉める。
「話があると言ったろう。手間は取らせない」
「な、何だよ・・・」
男は自分の家だというのに、ひどく落ち着きをなくしていた。
「そ、宗主様がお前とはあまり話をするなと・・・」
「奴のことはいい」
ほんの少しだけシュアールの眉間が狭くなる。あからさまな不快の表現ではないが、気の小さいこの男は怯えに拍車がかかる。
「お前の仕事で一番新しい内容を、教えて欲しい」
男は顔を上げて、大げさに首を振った。額に汗をかきながら必死の形相でシュアールを見つめる。
「お前の仕事は天界とのコンタクトだ。知ってるだろう。混血の移動の話は」
男は無言で首を振り続ける。ますます汗が流れて頬の横を落ちる。
「異能族の中には天界の声を聴く者が居る。それを宗主が重宝がって傍において居るのは知っている。大事な情報・・・『耳』だからな。その耳、なくしたいか?」
シュアールは男の頬のすぐ横に手をかざした。指先にじわり、と火が滲んだ。
男がひいっと悲鳴をあげて、白い顔を仰け反らせる。その拍子に自分で自分の後頭部を壁に打ちつけた。
「そんなに怖がるなよ。ただ知っていることを言えばいいんだ」
更に壁際に追い詰められて、男の顔からどんどん血の気が引いて行く。
「条件は」
「じ、じょうけん・・・」
「そう。条件だ。宗主と天界と・・・貴様しか知らない内容だ」
男は目に涙を溜めて首を横に振る。
「髪に火がつくぞ!」
男は自我が崩壊する寸前で、シュアールに陥落した。

* * *

「忘れ物は、ないよな」
と言っても自分の持ち物などたかが知れている。
小屋もささやかな家具も全て借り物だ。残して行く前に綺麗に掃除して、少しだけ入れてあった日用品も処分したら、ハトルの手元には一つの装飾品が残っただけだった。
猫目石と黒曜石の鏃をあしらった首飾り。
シュアールにもらった。

彼が大きめの岩石を調べているところを、訪ねたことがある。
材料に出来るものと、そうでないものに分別する作業の途中だった。
その中に、ハトルは尖った石を見つけた。自分の髪のように真っ黒だ。
昔の人間が使っていたんだ、とシュアールは言った。
「牙みたいだ」
ハトルの感想を、シュアールは「近いな」と受け止めた。
「それは鏃の化石だ」
「やじり?」
「大昔のナイフみたいなものだよ。磨けば光ってくるだろうけど、今じゃ別に誰も欲しがらない」
磨けば光るのか?この真っ黒なモノが。自分の髪と同じ黒い色の石。
・・・どう、光るのだろう。黒が輝く、ということがハトルには想像できなかった。
「そんなものでよければくれてやる」
「え。い、いいの?」
思わぬ言葉にハトルは声が裏返ってしまった。
「売り物にはならない。道具だってもっといい物が今は作れる。捨ててしまうところだった」
シュアールは、ハトルの手から鏃をひょいと取り上げて、
「せめてもう少し綺麗にしてやるから、置いていけ。後で届けてやる」と作業机に置いた。
必要以上に喜んで礼を言うハトルに、シュアールの方が奇妙な顔をしたことを、ハトルは覚えている。
その数日後、庵に残していった鏃が、猫目石と一緒になって首飾りに化けてやって来た。
「これも好きだと言ってたろう」
シュアールは装飾品に仕上げてくれたそれらを、ハトルの首にかけた。
鏃が二本。その中央に猫目石。
三つの石は宝石と呼べる程ではないにしても、掘り出した時とは比べようもないくらいに美しく磨かれていた。
黒は、光るのか。こんなに美しく輝くのか。
もしかしたら、自分も・・・。
ハトルはシュアールの首に抱きついた。
「ありがと!シュアールありがとう!俺すごく嬉しい!」
その時シュアールがどんな顔をしていたのか、抱きついていた自分には解らない。
「大袈裟だ」
と、暫くして小さく呟かれたことしか、覚えてない。

くす、と思い出し笑いをして、ハトルはその首飾りを身に付けた。
シュアールはぶっきらぼうだけど優しい。優しいくせに照れ屋だから、無愛想になる。
怒っている時も、自分を元気付けようとしている時や、心配してる時ばかりだ。他の人間が無視したり嫌みを言ったりするのとは全然違う。
シュアールだけがそうだった。
シュアールだけだった。
「絶対、天使になって帰ってくるからな」
ハトルは、誰も居ない小屋に向かってささやくと、静かに扉を閉めた。
向かう先は、山の向こう。
誰も行ったことの、ないところ。

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