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「黒い髪の天使だって居るだろう」 自らは銀色の髪をした少年が、ぶっきらぼうに言った。 もう何度も何度も同じ事を言い続けている。 年端のゆかぬ子供じゃあるまいし、論じるだけ無意味だ、と付け足した。 「でも」 小さな庵の中には、もう一人黒い髪をした少年が居る。銀髪の少年は、さっきから彼と話をしている。 特に身を乗り出すでもなく、親身な態度でという訳でもなく、ただ話をしている。 年頃は同じくらいに見えたが、表情は銀髪の方がやや大人びて見えた。髪も長い。 黒髪の少年は、少し躊躇しつつ返した。 「でも、黒い翼の天使は居ねえよな」 黒髪の少年の背中には、幾分控え目な大きさで漆黒の翼が生えていた。 黒くはあったが、それは美しい鳥の形状をしている。 しかし人間の背中にカラスの羽が生えた程度で、羽ばたかせる事すら自力では適わない。 勿論、飛ぶことは出来なかった。まだほんの数日前、生えてきたばかりなのだ。 対峙する銀髪少年には、翼などはなかった。そのためなのかどうかは自分でも解らないが、銀髪の少年は、その翼が気に入っていた。何となく「それは彼に似合う」ような気がした。 が、そんな想いは曖気にも出さず、愛想なく手元の水晶球を転がす。 「ハトル」 名を呼ばれて、黒髪の少年は俯いた顔を上げた。 「お前はまだ未完成だろ。細胞も未分化だ。たとえばこの玉」 手に抱いていた、水晶球をハトルの前にかざす。美しく磨かれたそれは、彼の掌で光っている。 「こいつだって、地中から掘り出して研磨してやらないと、こうはならない。 ただの石として眠っていたら役にはたたないが、磨いてやればそれなりに輝くものだ」 それなり、と言ってしまうには美しすぎると、ハトルは思った。 「それに途中まで磨いて結果が想像できるものでもない。 お前だって、これからその色が変わるかも知れない。赤毛の子供が金髪になるのはよくある話だ。 お前たちの一族は能力の変質で外見が変わる。完全に成長するまでは不可知だ。外見は内面から出てくるものであって、先に形だけを気にしても仕方がない。瑣末なことにこだわればこだわるほど、中身が貧弱になるぞ」 「俺は最初から黒髪だったよ」 「だからそれを気にするなと言っているんだ。自分の能力を磨けという意味だ。 僕がこの石くれを磨いて価値のある『玉』にするように」 「磨いたら邪悪なものが出てきたら、どうする?」 「ふん。そんなものは磨く方法や気分でそれこそいくらでも変化する」 少年は問題を、石の話題にわざと摩り替えた。 銀髪少年の生業は、磨き屋だ。掘り出された岩石を鑑定し、有望そうなものを選んで研磨する。 人間の中では、異能族に含まれる人種だった。大地の地熱。それを有効利用して僅かばかりの炎を生み出す。 鍛冶職人になるほどの炎は出せず、かといって何の力も持たない人間の中で暮らすことも出来ない。 中途半端だった。石を磨くくらいしか彼には出来ない。本来なら異能族でも女の仕事だ。劣等感は・・・あった。 そして時々、いやかなりしばしば、話をしに来る黒い翼の少年。 彼もまた、半端な部類だった。 天使の棲む世界と、悪魔の棲む世界が、きっちりと分割されたのは、まだほんの数十年前。 人間は未だ混乱の中にあり、ハトルのような「混血」は旧時代の遺物として、人界に留まらざるを得なかった。 混沌とした時代の名残り。親が誰なのかもわからない混血の遺児。天使と悪魔の混血。言うなれば戦災孤児だ。 大人になれば未分化の細胞が進化を遂げ、天使もしくは悪魔としての形状・能力を持つに至って行く。 やがていずれかの世界に迎えられ、それなりの道を歩む。 人間は自分たちの保身を考えて、集団で「彼ら」を育てる事にした。 育てた子供が天使になれば、何がしかの見返りがあるだろう。それを期待してのことだ。 「風当たりが強いのは、お互い様だ。お前はまだ将来性がある分、希望を持て」 磨き屋はいつものように話を区切り、出来かけの水晶球を一撫でした。 手のひらの表面から、じんわりと暖かい色の火が滲み、玉は炎の中で一瞬浮き上がり、更に滑らかになって手に戻る。 足下の水瓶にそっと潜らせると、玉は水の色と交わって沈んだ。 「出来上がり」 あまり表情のないこの少年が、満足そうに微笑む瞬間だ。 「シュアールは仕事があるから」 「何?」 「あ・・・いや、だからそんな風に自信を持ってられるんじゃねえかな、と思ってさ」 ハトルはバサバサした自分の黒い前髪の中から、友人を見上げた。 銀色のストレートロングヘア。白い肌に金色の瞳。彼こそが「天使」と呼ばれるに相応しいと思った。 ハトルは自分のクセのある黒髪と浅黒い肌が、嫌いだった。まるで将来が決まっているかのような容貌。 同じ「混血」の中でも「金髪」や「銀髪」の子供は、人間から優しく受け入れられている。 彼らの未来は、多分「天使」なのだ。そして思春期を迎えた子供が「白い翼」を持ち始めたとき、人間たちの期待は確信に変わる。 まだ子供に過ぎない彼ら(時には彼女ら)を、まるで神のように崇め奉り始める。 ただでさえ黒い髪、そして黒い翼が生え始めたハトルへの、人々の言動は想像通りのものだ。 大抵は事務的・無機的・無関係を装う。あからさまに無視するものも居る。虐待、とまではいかないが哀しいことだ。 「混血」の多くは、争いを好まない静かな種族だった。 しかし、言葉の礫は辛い時もある。だから彼らは、殆どが人里を離れてひっそりと住んだ。 あまり人が訪れない森の奥、山の頂、静かな水辺・・・。 ハトルは森の泉のそばの、今はもう誰も使わなくなった粗末な小屋を借りた。 人里から離れた場所で暮らすことを、人間たちも推奨した。 磨き屋シュアールの庵は、そこから少し離れた更に僻地にある。彼もまた人と話すことを好まなかったので・・・。 「馬鹿馬鹿しい。僕はただの人間だ。仕事をしなきゃ生きていけない。それだけだ」 「じゃ、その銀髪、俺にくれ」 「このたわけ者が!」 シュアールの手元で、炎が吹き上がった。 ハトルは「ひゃあ」と叫んで逃げる。 ハトルの背中を見送りつつ、無意識に燃え上がった焔を、握り締めて消火し、シュアールは溜息をついた。 「・・・情けない」 大人になって能力が全開したら、こんな半端な異能力人など瞬時に蹴散らせる癖に。 充分な力を秘めつつも、臆病な混血。特にハトルはその傾向が顕著だ。シュアールは苛立たしかった。 何度かそんなハトルを脅かしてやった。発破をかけたこともある。 その度ハトルは怯えて逃げ出すのだ。 「あれじゃあ、天使になろうが悪魔になろうがロクでもない事にしかならない」 少しは発奮して自己鍛錬してみればいいのだ。黒髪の天使が居ることは事実だ。 確かに黒い翼の天使の話は聞いたことはないが、問題は「見かけ」じゃない。能力の性質なのだ。 ハトルは「馬鹿」がつくほど他人や生き物に優しい。少なくとも自分よりはずっと。 そんな彼が「悪魔」になるとは、シュアールにはどうしても思えなかった。あの臆病ささえ払拭できたら、きっと有能な天使になれる。 「ま、どっちでもいいが」 天使も悪魔も、シュアールにはさしたる脅威とも思えなかった。本当に避けたい相手は、集団という名のただの人間だった。 「混血」の中の「有望株」にのみお追従を垂れる愚者達。 同じ「人間」の筈なのに、異能力を持っているというだけで奇異な目で見る連中。 異能人がおとなしいのを良い事に、奴隷扱いして売買する闇業者も存在する。 人間と悪魔の混血だと噂する者もいる。 悪魔だろうが獣だろうが、別にそんなことはどうでもいい。 気に入らないのは、能力を持たない普通の人間が(普通、というのもよく解らない定義だが)この地上では支配する側なのだと、何の根拠もなく考えている奴らが居る、ということだった。 「愚か者が」 シュアールはつい音に出た独り言を奇妙に思った。 世俗のことなどどうでもいい。そう考えて自分は、こんな僻地に居を構えたのではなかったか。 さっさと仕事を見つけて一人暮らしを始めたのも、誰とも関係を持ちたくなかったからだ。 ハトルか。 あの強くて臆病な混血が、自分を現実に引き戻そうとしている。不可解だった。 ハトルは暫く森を駆けると、木の幹にもたれて息をついた。 やれやれ、今日も叱られてしまった。ハトルは幸せそうに微笑った。今日もシュアールは元気だ。 「痛てて」 樹木と自分の羽根が擦れて、ハトルは軽く呻いた。出しっぱなしの翼を、注意深く収納する。最近ようやく出来るようになった。 飛べもしない、しかも毛嫌いされる黒い翼は、なるべく人前では隠すようにしている。 が、出している方がラクといえばラクだ。シュアールだけは動じない。だから彼には隠さない。 「でも、いつ人が通るかわかんないもんな」 僻地とはいえ油断は出来ない。別に見つかったところで殺されるワケではないが、あからさまな嫌悪の表情を見たくはなかった。 あらためてハトルは幹にもたれ、そのまま草地に座り込んだ。 ほぼ毎日のように、シュアールに叱られに行く。きっと向こうは呆れているか、辟易しているに違いない。 だが、自分はそれで安心するのだ。 シュアールのような異能力族は、平均して寿命が短い。普通の人間なのに、能力が発現してしまっているから、多分体がもたないのだろう。 しかし。 もし自分が天使になれたら。 ハトルは自分のバサバサした黒髪をくしゃくしゃと掻いた。 天使か悪魔か。俺の未来は既に決定されているのかも知れない。が、ハトルは諦めてはいなかった。 当然だが天使も悪魔も、そして混血も、その寿命は長い。 自分が天使になれたら、そのエネルギーをシュアールに分け与えることが出来るかも知れない。 大半の人間が無視する自分を、シュアールは普通に受け入れてくれる。話をしてくれる。 最初は無愛想さに驚いたが、それが彼の「地」なのだと知って、ハトルは安心した。 シュアールはどんな人間や混血に対しても、同じように振舞った。つまり、全てに剣呑なのだ。 ある日、金髪混血の客に向かって「偉そうに立ってないで、座ったらどうだ」と言ったことがあった。 その時の「未来天使」の戸惑った表情を思い出す度、ハトルは笑いがこみ上げてくる。 「ただ椅子をすすめただけだ」というシュアールの無表情さに、ハトルは心底から安心する。 シュアールを早死にさせたくなかった。そんな事を言えば、それこそ彼に「馬鹿らしい」と一蹴されるのであろうが。 「能力か」 ごろりと草地に横になる。青い蒼い空を雲が流れて行く。 いつかあの空を、自分も飛ぶのだろうか。 綺麗な空だといい。魔界の空はやはり暗い色なのだろうか。 シュアールを連れて飛ぶなら、絶対に綺麗な空がいい。 遠くに鳥の声を聴きながら、ハトルは無邪気にもぐうぐう眠り始めた。 興味深そうに、森の獣たちがその周囲を取り囲む。そして獣たちまでがハトルの周りで眠り出す。 いつもの平和な午後だった。 全く邪気のない黒い混血が、そこには居た。 |
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