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行動は速やかに、密かに開始された。 天界が全ての「混血」を受け入れる、という情報に、少数派もやや安堵した。 少なくとも、奇妙な差別をされながら人界に残るよりはマシだろう・・・誰もがそう考えた。 「混血」は、髪の色・肌の色・翼の有無その他身体的特徴の一切に関わらず、「迎え」が待つという場所へ移動するように言い渡された。 山を二つ越えた先は、未知の世界だ。小さな小さな世界に留まっている人々にとっては、そこは「世界の果て」であった。旅をして帰ってきた者は、いない。連峰、と呼ばれるそれら山々は高く、簡単に登ったり降りたり出来るものではない。とても子供に踏破できる山ではなかった。 「混血は別さ」 人々は言った。寿命は長い。体力だってある。奴らは我々とは違う。それに旅の間に翼が完成する奴もいるさ。事によっては、人里を離れたら天使が迎えに来るのかも知れないぞ。天使は人間には滅多と姿を現さないからな。 シュアールは、宗主らが去った後、人里へ降りた。 そこでそれらの噂を聞いた。噂はいい加減だ。出鱈目が殆どだ。 確認しなければならない。宗主の言っていた「条件」とやらを。 人間にとって悪い条件ではない。宗主はそう言った。では、人間以外には?混血にとっては? これまで人界に任せてきた混血を、何故急に天界が引き取る。人界の申し出をどうしてそんなに簡単に承諾する? 何かが変だ。何がおかしい。そして・・・。 自分は何故そんな事をこんなに気にしているのか。 一軒の家の前でシュアールは足を止めた。 玄関を叩く。中から「はあい」と気の抜けた返事がする。ドアが開いた。 痩せたひ弱そうな若い男が顔を出す。 シュアールの顔を見た途端、家人の顔から笑顔が消えた。 話があるというシュアールの言葉に、目を泳がせて少し斜めを向く。 「ああ・・・今ちょっと忙しいんだ」 「お前は外交屋だ。家に居るときは暇だろうが」 男の頬にさっと朱がさした。失礼な、と言葉を濁す男の肩を、シュアールは掴んだ。 「な、何をするんだ」 「別に何も」 男をせきたてるようにして、シュアールは家の中へ入った。後ろ手にドアを閉める。 「話があると言ったろう。手間は取らせない」 「な、何だよ・・・」 男は自分の家だというのに、ひどく落ち着きをなくしていた。 「そ、宗主様がお前とはあまり話をするなと・・・」 「奴のことはいい」 ほんの少しだけシュアールの眉間が狭くなる。あからさまな不快の表現ではないが、気の小さいこの男は怯えに拍車がかかる。 「お前の仕事で一番新しい内容を、教えて欲しい」 男は顔を上げて、大げさに首を振った。額に汗をかきながら必死の形相でシュアールを見つめる。 「お前の仕事は天界とのコンタクトだ。知ってるだろう。混血の移動の話は」 男は無言で首を振り続ける。ますます汗が流れて頬の横を落ちる。 「異能族の中には天界の声を聴く者が居る。それを宗主が重宝がって傍において居るのは知っている。大事な情報・・・『耳』だからな。その耳、なくしたいか?」 シュアールは男の頬のすぐ横に手をかざした。指先にじわり、と火が滲んだ。 男がひいっと悲鳴をあげて、白い顔を仰け反らせる。その拍子に自分で自分の後頭部を壁に打ちつけた。 「そんなに怖がるなよ。ただ知っていることを言えばいいんだ」 更に壁際に追い詰められて、男の顔からどんどん血の気が引いて行く。 「条件は」 「じ、じょうけん・・・」 「そう。条件だ。宗主と天界と・・・貴様しか知らない内容だ」 男は目に涙を溜めて首を横に振る。 「髪に火がつくぞ!」 男は自我が崩壊する寸前で、シュアールに陥落した。 「忘れ物は、ないよな」 と言っても自分の持ち物などたかが知れている。 小屋もささやかな家具も全て借り物だ。残して行く前に綺麗に掃除して、少しだけ入れてあった日用品も処分したら、ハトルの手元には一つの装飾品が残っただけだった。 猫目石と黒曜石の鏃をあしらった首飾り。 シュアールにもらった。 彼が大きめの岩石を調べているところを、訪ねたことがある。 材料に出来るものと、そうでないものに分別する作業の途中だった。 その中に、ハトルは尖った石を見つけた。自分の髪のように真っ黒だ。 昔の人間が使っていたんだ、とシュアールは言った。 「牙みたいだ」 ハトルの感想を、シュアールは「近いな」と受け止めた。 「それは鏃の化石だ」 「やじり?」 「大昔のナイフみたいなものだよ。磨けば光ってくるだろうけど、今じゃ別に誰も欲しがらない」 磨けば光るのか?この真っ黒なモノが。自分の髪と同じ黒い色の石。 ・・・どう、光るのだろう。黒が輝く、ということがハトルには想像できなかった。 「そんなものでよければくれてやる」 「え。い、いいの?」 思わぬ言葉にハトルは声が裏返ってしまった。 「売り物にはならない。道具だってもっといい物が今は作れる。捨ててしまうところだった」 シュアールは、ハトルの手から鏃をひょいと取り上げて、 「せめてもう少し綺麗にしてやるから、置いていけ。後で届けてやる」と作業机に置いた。 必要以上に喜んで礼を言うハトルに、シュアールの方が奇妙な顔をしたことを、ハトルは覚えている。 その数日後、庵に残していった鏃が、猫目石と一緒になって首飾りに化けてやって来た。 「これも好きだと言ってたろう」 シュアールは装飾品に仕上げてくれたそれらを、ハトルの首にかけた。 鏃が二本。その中央に猫目石。 三つの石は宝石と呼べる程ではないにしても、掘り出した時とは比べようもないくらいに美しく磨かれていた。 黒は、光るのか。こんなに美しく輝くのか。 もしかしたら、自分も・・・。 ハトルはシュアールの首に抱きついた。 「ありがと!シュアールありがとう!俺すごく嬉しい!」 その時シュアールがどんな顔をしていたのか、抱きついていた自分には解らない。 「大袈裟だ」 と、暫くして小さく呟かれたことしか、覚えてない。 くす、と思い出し笑いをして、ハトルはその首飾りを身に付けた。 シュアールはぶっきらぼうだけど優しい。優しいくせに照れ屋だから、無愛想になる。 怒っている時も、自分を元気付けようとしている時や、心配してる時ばかりだ。他の人間が無視したり嫌みを言ったりするのとは全然違う。 シュアールだけがそうだった。 シュアールだけだった。 「絶対、天使になって帰ってくるからな」 ハトルは、誰も居ない小屋に向かってささやくと、静かに扉を閉めた。 向かう先は、山の向こう。 誰も行ったことの、ないところ。 |
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